三遊氣スクール
不登校を考える。その①心を鍛えるってことは?
更新日:11月8日
こんにちは
三遊氣塾講師の東谷です。
現在、全国の小中学校生の不登校数が
前年を10,2%増加し18万1272人と大幅に増えています。
7年で2,9倍へ・・・・
原因のひとつの背景として
「無気力・不安 41,1%」
「友人関係をめぐる問題 10,1%」
「学業の不振 4,3%」など考えられています。
この不登校人数は確認できているだけの数字で
まだまだ不登校予備軍が潜んでいる事実にも否めないと同時に
恐怖すら感じています。
平成29年2月に「教育機会確保法」が施行され学校にいかないことも
選択肢と考えられるようになりました。
しかしながら
そんな法案も知らない親の子ども達が不登校になっているのも
いかがなものでしょうか?
フリースクール・学習塾とさまざまな受け皿は増えていますが
行政や市町村の連携もなく本当に受け皿といえるのでしょうか?
子育て支援って・・・どこを見て問題意識を定義しているのでしょうか?
子どもを生んでも受け入れる体制がこれでは
人間教育が崩壊してしまいます。
話は少し変わりますが
わたしは昭和の時代に生まれ育ちました。
物心ついた頃はまさに高度成長期のど真ん中にいました。
「かぎっ子」という呼称も生まれ
両親が働き、家にいないという家庭も多くなってきました。
母親が家にいて
おやつを作ってくれる友人を羨ましく思い
りかちゃん人形も
ハウスやリカちゃんの恋人ワタル君まで持っている友達もいました。
わたしの家は
決して貧乏ではなかったのですが
親が子供に関心がなく仕事尽くめで兄妹も多かったので
兄妹けんかをするからと
駄々こねても買ってくれませんでした。
おもちゃも少なく
グリコキャラメルのおまけを集めては遊んでいました。
子どもながら、りかちゃんハウスの代わりに
真っ暗な学習机の下の本棚をスペースとし
色々なキャラクターと会話しながらストーリーを作り
ひとりでいつも遊んでいました。
遊んでいても「なんでウチはこんな親なのか」
そんな悔しいきもちが湧き出てきて
りかちゃんハウスへの憧れを断ち切るかのように
「駄々こねても買ってくれないのならば駄々こねるだけ疲れる」
たった6歳で親にせがむという行為をわたしは捨てたのです。
もしも、今の子たちのように
ほしいものを全てあたえられていたのなら
感情を管理できることが遅れていたかもしれません。
買ってくれないという問題を分析して
買ってほしいという衝動をコントロールしながら
うまくいかないときにどうするのかを考え
自分を守るために「せがむという行為を捨て」
知らず知らずのうちに心が鍛えられていき
6歳で自分自身を傷つけるものから
自分を守る防衛本能を備えていたということです。
ふまえて
子どもを子ども扱いすることなくひとりの人間として
12歳までに教えなくてはならないことは
喜怒哀楽の心です。
喜怒哀楽はひとりではできないのです。
心の豊かさとは
一生懸命に喜んで
一生懸命に怒って
一生懸命に悲しんで
一生懸命に楽しむこと
人は生まれて死ぬまでに辛いことがたくさんあります。
辛いことの方が多いのです。
ずっと順風満帆な人生を歩む人はいません。
この世は「修行」なのだから。
【鬼滅の刃】がヒットしているのは
アニメから家族愛・友情・正義・使命感・師匠といった
人生で一番大切なものを感じ取り
教えてくれているからなのかもしれません。
だからこそ
心を鍛えていかなくてはなりません。
心を鍛えることでどんな困難にも
立ち向かっていく勇気と力が武器となります。
その武器をたくさん備える準備をするのが
親の役割・周囲の大人の使命だと私は思います。